今朝ふく風の涼

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今朝ふく風の涼

大いなるものに抱かれて
 前の妙心寺の管長でありました山田無文老師が、若いころ、ひどい
肺病を病まれて、親の家で養生をされたことがあるそうです。 兄弟で
もそばによりつけないようになって、離れへかよってきてくれるのはお
母さんだけ。 そういう状態で、まだお坊さんになられてそう間がなか
ったころですから、自分でもなかばもうだめだと思い込んでいたのでし
ょう。
 当時、肺病というのは、いちばん人にいやがられタ病気です。 離れ
のそばに立っている塀の外を、小学校の子どもが行き帰りに、
 「ここは肺病やみがいるから、早くとおらないとうつるぞ」
 と、言って、パーっと走ってとおるのがのが聞こえるというような状況
であったようです。
 もう生きる希望も失ったような気持ちで、暑い夏がすんで飽き口のころ
縁側に出て、朝、見るともなしに南天を見ながら、吹いてくる涼しい風に
吹かれていたとき、ふと、

 ”ああ、みんなから見離されてしまったように思っていたけれども、私に
はまだこういうすばらしい風があったじゃあないか”

 と思われたのだそうです。 そしてそのときにつくられた歌が、

         大いなるものにいだかれあることを
               今朝ふく風の涼しさに知る

 というすばらしい歌です。 いまお里のほうで歌碑にもなっているようで
あります。
 わたしたちはそういうおおきなものに包まれているわけでで、自分のち
っぽけなはからいで生きているのではなかったのです。 自分でもうだめ
だと思い込むなどということは、僭越なことであって、この大きく包みこん
でくださっているものにおまかせすればいいのだという、そういう最初の、
宗教的体験を通られたあと、うす紙をはぐように胸の病もよくなられて、天
才的な立派な宗教者がひとり生まれたわけです。

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 そうですよね。 なんでもを受けとめたい。 そして あかるい日々にし
たいものです。 心をどこに置くかによって、天と地になるのですものね 角度を変えてみる 誰願在異鄉流浪呢 箴言集』を残した 友人に感謝。  これなんぞ福とな 師教人不厭,誨人不倦 困苦はある

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